平成という時代②

昭和にあった物を徐々に捨てていったのも平成という時代。

一億総中流意識なんて物を完全に無くしてしまったのも平成のこの10年ではないかな。原因があって人の気持ちが変わるまで10年ぐらいのタイムラグがあるのでそんなものだろう。

昭和の頃は隣の家が冷蔵庫を買ったらうちも買おうとか言っていた。近所のお金持ちの家に電話があるのも羨ましくていつか電話を入れようと思っていたものです。平成の最初の頃は隣の家が家族でスキーに行ったらうちも家族で行こうとスキー用具を買ったりしたもの。

人生の生き方としては自主性が高いわけではないけど、明るく前向きだった。日本的集団主義でお隣もやっている事を実行できたわけ。

今はお隣が海外旅行に行っても、北海道に夏休み家族で出かけてもいける家といけない家に分かれている。いけない家は妬む以外にない。その気持ちを補填する方法が不寛容な悪口の書き込みかな。

次の時代で昔日本は平和を愛する国だったのに、なんでこんな事になってしまったのと思わないで欲しい。最近の事象を見ているとお隣を一度ガツンとやってやらないとわからないじゃないかという風潮が出てきている。

誠に心配である。

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