昔の話(前半)

私のおばあちゃんは芸者さんだった。母には山崎という名前の兄と妹がいた。母が死んだ後相続の為に戸籍を取り寄せて気がついたのだけど生まれて3年ぐらいは別の姓だった。つまりじいちゃんは二股していてどういう事情か私のばあちゃんを正妻に入れて、その後も二股を続けて妹を作ったという事ですな。それで山崎さんが亡くなってたぶん3人一緒に育ったらしい。兄弟姉妹は仲が良かったみたいである。

昭和30年頃まではばあちゃんと一緒に暮らししていた。ところがじいちゃんは別の所で別の女性と暮らしていた。月に一度ほど通って来ていてその日はすき焼きだった記憶がある。ばあちゃんはいそいそしていた記憶がある。お風呂も湧いていた。ばあちゃんは長唄のお師匠さんでじいちゃんも大阪のその世界では結構有名な人だった様である。

ばあちゃんはずいぶん私を可愛がってくれた。3歳ぐらいの時お風呂に入ってオチンチンかわいいねと言って舐めてくれたりしたよ。たぶんかわいいからだと思うけどいまだに記憶からまだ抜けないのでそういうのはいけないよ。私は覚えてないが幼稚園の面接にばあちゃんが一緒に行ってくれたらしい。その時幼稚園の先生が私の首にかけてあったネックレスがかわいいと褒めたらしい。そこで私が余計な事は言わないでくれと言ったという。もうあの子には参ったと言っていた。

じいちゃんはそういうわけで遊び人でした。どうも親の財産を食いつぶしたらしい。何しろ残っている骨董は売れなかった物だけだと言う。ひとつだけ母がまともだという懐剣が残っていたけど、神田の友人の研ぎ屋に聞いてみたら研ぎ代の方が高いよと言われたのでそのまま。唯一残っているのはじいちゃんが友人と始めた公益社の株券。金がなくなっても売るわけにいかなかっただろうね。後は俳句が得意で大阪の市電の公益社の額面広告出ている俳句はじいちゃんが作っていて、ばあちゃんが自慢していた。

私が中学の時道頓堀のおでん屋に連れて行ってもらった。何を話したかは覚えてないけどステーキの方が良かったなと思っていた。その後は入院して大腸ガンで死んだ。

ばあちゃんは正月にエビフライのお皿を枕元に置いて死んだ。その時の葬儀は連れ合いに手伝ってもらった思いがある。

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