こんな昔話を書いているとずいぶん歳をとってもうすぐ死んじゃうのかなと自分でも思ってしまう。
親父は婿養子だった、やっと正妻の座を射止めばあちゃんの切なる願いから養子で来てくれるのを望んでいたんだろうね。そんなわけで親父の家の事はよく知らない。親父の方のじいちゃん見た事がない。どんな人かも知らないけど40代で死んだらしい。親父が死んだ時は相続もしていないので何も調べてない。
ただ、おばあちゃんは山中といって、親父の姓は後藤だった。つまり離婚したのか2号だったどちらかだったんだろう。ばあちゃんはキツイ性格だった気がするので離婚?でも、1人で息子2人を大学まで行かせた事は間違いない。
親父の弟、私から見て叔父がいた。学校の教員をやっていた。私が中学生ぐらいでごちゃごちゃしていた時に何度か登山に連れて行ってくれた。ワンダーフォーゲルという言葉を覚えたのもその頃である。彼には私より一回りぐらい下の息子が2人いた。1人は医者、もう1人は松下電気に勤めていたと思う。しかし、全く交流がないし消息も知らない。
親父が死んだ後彼が自分の息子の学費を親父に借金していて額は100万ぐらいだったと思うけどそれを私が集金したのが気にいらなかったのだろう。わからなくもないけど、それならそれであれは借金で無くて兄から贈与されたものだと主張すればよかった。まあ、分割で払ったとこを見ると苦しかったのだろう。私の母と仲が悪かったのも原因かもしれない。叔父は晩年沖縄でのんびり暮らしていたらしい。そうして母がなくなるちょっと前に死んだという。葬式にも行ってない、呼ばれてもない。
というわけで全く交流のない2人従兄弟がいるというわけ。