日本って③

トルコに転勤していた人に聞いた話がある。トルコ人はなーんちゃってイスラム教徒である人が多い。ビールも飲むし、ラマダンには一応参加という感じだけど1日何回も祈ったりはしない。しかし、心の中には神様がいるという。日本人は仏教徒かと聞かれたので御葬式だけだよ。みんな無宗教だと答えるとビックリされたという。考えられないと言われたらしい。

あのラクガキだらけのナポリに行ってもさすがに教会には遠慮があるらしくラクガキは少ない。彼らは神と個人という関係がある。神様が見ているとか神様に赦しを乞うという事がある。我々にはそういう感覚はない。儒教的な仁、義、礼、智、信とかいうものには一応のシンパシーがあったように思う。支配者階級には武士道なるものがあった。そしてその残滓は昭和には少し残っていた気がする。

今、あるのは損得感情だけが色濃く残っている。特に日本の支配者階級である霞ヶ関には色濃い。もちろんサラリーマン社会にも蔓延して来ている。いつから状況によっては嘘をついてもよくなってきたんだろう。我々には神がいないのでこのままでは嘘だらけになってしまう。こういうのはきっと歯止めがかからない気がする。

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