平成という時代③

インターネットの時代だね。

平成の始めの頃自動車電話が出始めた。それを車に積んで自慢していた友人がいた。それもあっという間に進化してポケベルなんてものが出てきた。偽物のテレフォンカードを上野公園でイラン人から買ってきて見せてくれたのは娘だった。

2005年ごろ私が勤めていた新聞系広告代理店にインターネットの広告のセクションができてそこの部長になった。毎日遊んでいたから他にもぶらぶらしているのを集めてともかく格好だけつけようとというのが会社の意図だったろうね。

面白かった。サラリーマン時代で1番仕事が楽しかったのはこの2〜3年だった。新聞社にいるヒラメ族でなくて本当に会う人間がインターネットの広告の将来性を信じていた。

ある時役員からインターネット広告はどうだねと聞かれた。「もうすぐ新聞広告を抜きます。部長以上への教育が必要だ」と言ったら、鼻で笑われた。馬鹿と話してもしょうがない。

一人で誰にも相談しないで色々やった、成果も上がったけど評価は下がったようだ。もう少し諦めずにひつこく説得すればよかったかもしれないが私にはできない。人と相談するのが嫌いだからね。

ついでに言えばリーマンショックでどうしようもない時、どうすればいいと聞かれた時全力で株を買う事を勧めた時も無視された。本当に60歳まで楽して給料もらえた会社に感謝だね。

10年ぐらい前にオーストラリアに行った時はまだWiFiが図書館ぐらいしか飛んでなくて苦労した。そのうちホテルは高級ホテル以外はほとんどWifiが無料で使えるようになった。ここでもおかしいのはインターコンチなんかがいつまでも有料だった。

娘にフリーSimというのを教えてもらった。ウーバーもairbnbも娘に教えてもらったけど今では老夫婦の方が使っている。もう、ネットがつながらないなんて考えられない。

神田の友人はメールが使えない、70歳の友人は電話が欲しいとメールが来る。どんなもんかと思うけど、そんなものか?

次の時代はAIが普通になる。私の最終診断はAIにして欲しい。Aの治療方針だと余命3年の確率70%、Bだと余命1年だけど通常の暮らしを維持できる、Cは不明現在開発中。とか言われたい。スッキリしていると思う。

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